歴史
1628年(寛永5年)、一山智乗によって開山された。元々は武蔵国豊島郡天神町(現・東京都新宿区天神町)に位置していたが、1640年(寛永17年)に現在地に移転した[1]。
当初は「浄見寺」という名称であった。1650年(慶安3年)、江戸幕府3代将軍徳川家光が鷹狩りの際に当寺に立ち寄り、「この寺、独り田の中にあり、もって田中寺としたらよかろう。」という言葉を賜り、「田中寺」に改称した。この縁により、歴代住職は毎年新年祝賀のために江戸城に登城することになった[2]。 なお1657年(明暦3年)、隣地に伝久寺が横寺町より移転したため、「この寺、独り田の中にあり」ではなくなっている。この2寺が現在まで残っているのである。
当寺には、「富田地蔵尊」と呼ばれる地蔵菩薩像が安置されている。戦国時代末期、「富田玄蕃」という人物が賊に襲われた際、身代わりとなって首を討ち取られた地蔵である。この逸話から「身代わり地蔵」として信仰を集めるようになった[2]。
交通アクセス
関連項目
- 伝久寺 (新宿区) - 隣接する。
脚注
参考文献
- 東京市牛込区 編『牛込区史』東京市牛込区、1930年
外部リンク
- 坐禅会|龍谷山田中寺|日本