事績
清末の乙酉科挙人。河南省知県、広西省知府監司を経て、1906年(光緒32年)に広西按察使に昇進する。1911年(宣統3年)、広西布政使に任ぜられた。[1]
辛亥革命が勃発すると、王芝祥は革命派により広西副都督に擁立されている。しかし、省内の実力者である陸栄廷の圧迫を受け、援鄂軍司令として湖南省に退出させられた。その後南京に移り、1912年(民国元年)3月、第3軍軍長兼本部高等顧問官兼南京留守府軍事顧問に任ぜられている。その後、南方軍宣慰使に異動した。同年、統一共和党幹事となり、後に国民党理事となった。[1]
1924年(民国13年)11月、京兆尹に任ぜられる。翌月、北京政府僑務局総裁に転じた。翌年7月まで同職をつとめている。その後は在野で社会慈善事業に従事し、世界紅卍字会中華総会会長にもなった。晩年は故郷で暮らしている。1930年7月、病没。享年73。[1]
注
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN (978-7-202-03014-1)。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN (7-101-01320-1)。