王 唊(おう きょう、? - 紀元前105年)は、衛氏朝鮮の国家運営にあたった4人の合議メンバー(朝鮮相路人、朝鮮相韓陰、尼谿相参、将軍王唊)の1人[1]。官職は朝鮮の将軍[1]。
概要
武田幸男は、「路人と韓陰は朝鮮の『相』、王唊は朝鮮の『将軍』であり、おのおの文事と武事を分担したとおもわれるが、そのなかに王・韓二姓がみえる。かれらは有力な亡命者、または亡命者ゆかりの人物だったとおもわれる」と述べている[1]。また、三上次男も、王唊の「王」という姓氏から、主人である朝鮮王衛右渠と同じく、中国系の人物であることを指摘している[2]。
衛氏朝鮮の軍事を担当していた[1]。
紀元前109年から紀元前108年、前漢が朝鮮を討伐するために攻撃してくると、4人の合議メンバーのうち、路人、韓陰と共に朝鮮王衛右渠を残したまま降伏した[3]。降伏後、前漢から平州侯に封じられたが、後継ぎがないまま1年後に死亡し、侯国は廃絶された[4]。
脚注
- ^ a b c d 礪波護・武田幸男 1997, p. 267
- ^ 『漢書>朝鮮傳>古朝鮮>左將軍이 이미 두 군대를 합병한 뒤』国史編纂委員会 。
- ^ 礪波護・武田幸男 1997, p. 268
- ^ 礪波護・武田幸男 1997, p. 269