猪苗代 盛国(いなわしろ もりくに)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。蘆名氏の家臣。猪苗代氏12代当主。父は蘆名盛詮の次男・(猪苗代盛清)とされるが、天文10年(1541年)に蘆名氏に対して謀反を起こした(猪苗代盛頼)ともいわれる。
生涯
猪苗代氏は桓武平氏・三浦氏の流れを汲む蘆名氏の支流。蘆名氏の重臣であるが、自立傾向が強く度々反乱を起こしていた。
盛国も最初は蘆名盛氏の家臣として仕える。天正13年(1585年)、嫡男・盛胤に家督を譲って隠居したが、後妻の息子・(宗国)を溺愛し、同16年(1588年)に後妻の讒言に乗って盛胤を廃嫡しようと画策。盛胤に譲ったはずの猪苗代城ごと伊達氏に寝返り、その軍勢を招き入れ、摺上原の戦いでの蘆名氏惨敗の原因を作った。その際、宗国を伊達方に人質として差し出している。この功績により伊達氏の準一門に列せられ、5000石の禄を食んだ。
猪苗代氏の家督は次男の宗国が継いだ。