概要
別名に五十琴宿禰連公(いことのすくねのむらじのきみ)、伊己止足尼[2]、伊己燈宿禰[3]、伊己止足尼大連[4]などがある。
『先代旧事本紀』「天皇本紀」によると神功皇后摂政三年1月3日に大連となったとされ、同「天孫本紀」には宿禰となったことが伝わるが、『記紀』にはこの時期の物部連一族の動向が全く伝わらない(後述)。
系譜
『新撰姓氏録』によると饒速日命の十世孫[3]または十一世孫[4]。『先代旧事本紀』「天孫本紀」や各種系図史料では饒速日命の九世孫とされ、父は胆咋宿禰、母は市師宿禰(壱志県造)の祖・穴太足尼の娘である比咩古命。同族の多遅摩連公の娘である香児媛を妻として伊莒弗連公、佐為連、氷連、登見連、田部連、高橋連、刑部造らの祖・麦入連公、佐為連、猪名部造らの祖・石持連公の三子を生んだ。