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灯火管制(とうかかんせい)は、戦時において民間施設および軍事施設・部隊の灯火を管制し、電灯、ローソクなどの照明の使用を制限することである。それにより、敵が状況を把握することを防ぎ、また、夜間空襲もしくは夜間砲撃などの目標となることをなるべく防ぐことを目的としている。その方法は、変電所で送電を止める「中央管制」ないし「統一管制」と、末端の利用者が個別に消灯・遮光を行う「自由管制」ないし「各個管制」とに分けられる。後者では灯火管制中にも電力が供給されるため、生産活動・経済活動・市民生活を継続できるが、管制を徹底するために外部から監視・監督を行う必要がある。
軍隊の灯火管制
軍隊において、灯火管制は一般的に行われている。夜間に照明を行うことは、敵に対し自部隊の位置を暴露することになるためである。具体的な方法としては、車両のヘッドランプにカバーを付け減光する、ライトを下向きに設置する、肉眼にとって白色灯よりも目立ちにくい赤色灯を用いるなどである。個人用の懐中電灯にも、散光用や遮光用のフィルターや、赤色フィルターを追加する場合がある。なお、現代では暗視装置の発達により、光源とくに可視光を用いずとも作戦を行うことが可能である。また、照明弾も可視光ではなく赤外線で照らすIR照明弾が普及している。
民間の灯火管制
第一次世界大戦
第一次世界大戦ではドイツの飛行船が夜間にイギリス上空に侵入してロンドンを爆撃した。イギリスは対策として灯火管制を実施したが、当初効果がなかった。夜間に自ら偵察を行ったところ周辺町村の灯火の中で暗黒のロンドンが浮かび上がっていたことが判り、灯火管制の範囲を拡大してようやく効果が上がった。灯火管制の結果、爆弾の半数が市の郊外で何ら損害を加えることなく投下されるようになった[1]。
第二次世界大戦
民間施設における灯火管制としては、特に第二次世界大戦におけるイギリス、ドイツ、イタリア、日本などの例が知られている。主に都市への夜間空襲を防ぐために用いられた。灯火管制を行わない場合、敵機から都市の位置がはっきりと視認できるようになり、精度の高い都市への空襲を行えるようになってしまうためである。方法として、窓を塞いだり、照明に覆いをつけたりした。灯火管制下にある中で、明かりが漏れてしまったためにその家が標的になったという証言や記録も残されている。
しかし、これらの灯火管制は、第二次大戦において既に効果が低かったとされる。日本を爆撃したアメリカのB-29 スーパーフォートレス爆撃機は高性能のレーダーを搭載していたので、それを頼りに都市の市街地や目標物を爆撃することができ、イギリスを爆撃したドイツのHe 111爆撃機やドイツを爆撃したイギリスのランカスター爆撃機はレーダーの発達していない時期から無線方位測定機器を用いて夜間爆撃を行った。これらは精度に欠けていたため、アメリカはP-51 マスタング戦闘機やB-29が偵察機として先導し、イギリスはデ・ハビランド モスキート戦闘機を嚮導機(パスファインダー)として運用した。
日本では防空法に基づき、日中戦争期の1938年(昭和13年)4月10日付で灯火管制規則が実施され[2][3]、ポツダム宣言を受諾して大東亜戦争における組織的戦闘がほぼ終結した後の1945年(昭和20年)8月20日付で全国の灯火管制が解除された。ただし、この根拠法である防空法の廃止は翌1946年(昭和21年)1月31日までずれ込んだ。
朝鮮戦争
1950年(昭和25年)6月29日、板付飛行場を中心に福岡県福岡市、門司市・小倉市・戸畑市・八幡市(この4市は後に合併して現・北九州市)、および長崎県佐世保市の6市で灯火管制が実施された(同時に空襲警報も発令)。
湾岸戦争
1992年、湾岸戦争の際にイラクの首都・バグダードで厳重な灯火管制が敷かれたが、アメリカ軍の暗視装置や、GPS誘導技術などによる精密爆撃は著しく精度が高く、ほとんど無意味なものであった。この教訓のためか、2003年のイラク戦争時には、積極的な灯火管制は行われなかったという。
コソボ紛争
1999年、北大西洋条約機構(NATO)がコソボ紛争への軍事介入「アライド・フォース作戦」を行った際、ユーゴスラビア連邦共和国(現・セルビア共和国)の首都・ベオグラードで灯火管制が敷かれた。
関連項目
脚注
参考文献
- 保科貞次『空襲!』、千倉書房、1936年。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧。
外部リンク
- 「関東防空演習実施ニ際シ一般交通ニ関スル件内閣官房総務課長通牒」(国立公文書館)※環境によっては表示できません。
- 「第一回防空演習」より(昭和8年(1933年)3月) RCC ひろしま戦前の風景
- 灯火管制用具を完備せざる家の妻女に対して(する警察の説諭例)『説諭の栞』警察教材研究会編、1942年
- 防空演習 -NHKアーカイブス(動画・静止画)