由緒
社伝や『新編武蔵風土記稿』では長保年間(999年 - 1003年)に、陰陽師の安倍晴明によって当地に熊野大神(熊野権現)が勧請されたのが起こりとされている[1][注釈 1]。
境内
葛飾区内を流れる中川蛇行部(中川七曲)の右岸に位置する。社地は元来一辺が約三十間の正五角形をなしていたとされ、現在もその痕跡を残しているが、この社地の形状が五行をかたどっているとされている。また当社やかつての別当寺であり近隣にある五方山南蔵院立石寺の山号 五方山もこれに由来する。
社殿は寛政8年 (1796年)に造営されたご神体を安置する石造りの内陣、明治12年 (1879年)に造営された総公孫樹造りの本殿、幣殿および拝殿(ともに大正10年 (1921年)造営。昭和36年 (1961年)改築造営。)からなる権現造である。境内社として水神社、天満宮、浅間神社、稲荷神社がある。また境内に幼稚園が併設されている。
ご神体
長さ二尺余りの神代の石剣と伝えられる[注釈 2]。
交通アクセス
脚注
注釈
出典
- ^ 新編武蔵風土記稿立石村熊野社.
- ^ a b 葛飾区史料 江戸名所図会.
- ^ 『葛飾区立立石図書館案内』 1980年
- ^ 葛飾区の登録文化財一覧.
参考文献
- 「立石村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ23葛飾郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):763978/92。
- 江戸名所図会 7巻
- 葛飾区史料. p. 219
- 斎藤長秋 編『江戸名所図会. 十九』 七巻、博文館、1893年12月。(NDLJP):994948/44。
- “葛飾区の登録文化財一覧”. 葛飾区郷土と天文の文化財. 2019年11月22日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 東京都神社庁 葛飾区 熊野神社
- 五方山 熊野神社