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焼尻島

焼尻島(やぎしりとう)は、北海道留萌振興局管内の苫前郡羽幌町の西25kmの日本海に浮かぶである。武蔵水道を隔てて西方にある天売島とともに、羽幌町に属する。

焼尻島
西方の天売島から見る焼尻島
所在地 北海道留萌振興局苫前郡羽幌町
所在海域 日本海
座標 北緯44度26分00秒 東経141度25分26秒 / 北緯44.43333度 東経141.42389度 / 44.43333; 141.42389座標: 北緯44度26分00秒 東経141度25分26秒 / 北緯44.43333度 東経141.42389度 / 44.43333; 141.42389
面積 5.21 km²
最高標高 94 m
人口 198人(2019年)
人口密度 38人/km
焼尻島
焼尻島 (北海道)
焼尻島
焼尻島 (日本)
プロジェクト 地形
(テンプレートを表示)
焼尻島の空中写真。1977年撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

面積5.21km2、人口198人[1]。かつて6,000人が暮らしていたが、島の沿岸部にあった集落は道路の拡幅により全て取り壊されている。島の名は、アイヌ語の「エハンケ・シリ」(近い島)、あるいは「ヤンケ・シリ」(水揚げする島)に由来すると言われている。

歴史

  • 14世紀ごろ - マシュケアイヌにより焼尻漁場が支配される。
  • 1822文政5)年 - マシュケアイヌ200人が定住し、ニシン漁に携わる。
  • 1786天明6)年 - 六代栖原角兵衛幕府よりヤンゲシリ漁場請負を命ぜられる。
  • 1848嘉永元)年6月27日 - アメリカ人ラノルド・マクドナルド(Ranald MacDonald)、焼尻に漂着。
  • 1855(安政2)年 - 秋田藩の管理地となる。
  • 1859安政6)年 - 庄内藩の支配地となり、焼尻でのアイヌ和人の交易は庄内藩がトママイ場所で管理。
  • 1868明治元)年 - 明治維新により困窮した水戸藩の支配地となる。
  • 1876(明治9)年 - 苫前村より焼尻村が独立[2]
  • 1879(明治12)年 - 郡区町村制が定められ、焼尻村、天売村戸長役場を焼尻に設置[3]
  • 1885(明治17)年 - 焼尻郵便局を石川県人小納家が引き受ける。
  • 1900(明治33)年 - 焼尻消防団設置。
  • 1902(明治35)年 - 天売村戸長役場が、焼尻村より独立設置される。
  • 1906(明治39)年 - 焼尻村(二級町村施行)[4]
  • 1923(大正13)年 - 中野北溟、当村で誕生。
  • 1948(昭和23)年 - 村立焼尻高等学校創立。
  • 1959昭和34)年 - 羽幌町に編入。
  • 1964(昭和39)年 - 天売、焼尻道立自然公園となる。
  • 1969(昭和44)年 - 羽幌港、苫前港との連絡フェリー「天羽丸」就航。
  • 1977(昭和52)年 - 焼尻郷土館[5]、羽幌町有形文化財に指定される。
  • 1979(昭和54)年 - 焼尻高等学校閉校。
  • 1990平成2)年8月1日 - 暑寒別、天売焼尻国定公園指定。
  • 1991(平成3)年4月12日 - 高速船「さんらいなぁ」就航。

自然・気候・産業

島内には多くの自然が残り、暑寒別天売焼尻国定公園に指定されている。特にイチイ(現地ではオンコと呼ばれる)の原生林は、その厳しい自然環境から希有な森林相を形成し、焼尻の自然林の名称で1983年(昭和58年)8月30日に、国の天然記念物に指定されている。

対馬海流に洗われているため、道北としては温暖であり、海水浴場やキャンプ場を有している。

主たる産業は漁業であるが、他に観光と畜産がある。畜産は食用羊のサフォーク種の国内有数の産地として有名である。道路から放牧風景が見られる。

日本海に位置するため、通常でも波が荒く、波力発電の実験地の一つに選ばれている。

気候

焼尻(1981年 - 2010年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 7.0
(44.6)
7.4
(45.3)
12.1
(53.8)
20.0
(68)
26.4
(79.5)
26.1
(79)
30.6
(87.1)
30.7
(87.3)
28.9
(84)
21.8
(71.2)
17.0
(62.6)
12.6
(54.7)
30.7
(87.3)
平均最高気温 °C°F −1.4
(29.5)
−1.3
(29.7)
2.1
(35.8)
7.9
(46.2)
12.7
(54.9)
17.2
(63)
21.1
(70)
23.3
(73.9)
20.4
(68.7)
14.6
(58.3)
7.3
(45.1)
1.3
(34.3)
10.5
(50.9)
日平均気温 °C°F −3.5
(25.7)
−3.4
(25.9)
−0.1
(31.8)
5.1
(41.2)
9.6
(49.3)
14.1
(57.4)
18.3
(64.9)
20.5
(68.9)
17.6
(63.7)
12.0
(53.6)
4.7
(40.5)
−1.0
(30.2)
7.9
(46.2)
平均最低気温 °C°F −5.7
(21.7)
−5.5
(22.1)
−2.3
(27.9)
2.6
(36.7)
7.0
(44.6)
11.7
(53.1)
16.0
(60.8)
18.4
(65.1)
15.2
(59.4)
9.4
(48.9)
2.1
(35.8)
−3.2
(26.2)
5.5
(41.9)
最低気温記録 °C°F −14.5
(5.9)
−14.8
(5.4)
−11.4
(11.5)
−4.1
(24.6)
−1.1
(30)
4.2
(39.6)
9.2
(48.6)
12.3
(54.1)
7.6
(45.7)
0.0
(32)
−9.1
(15.6)
−12.2
(10)
−14.8
(5.4)
降水量 mm (inch) 44.1
(1.736)
35.8
(1.409)
27.6
(1.087)
34.8
(1.37)
51.6
(2.031)
48.1
(1.894)
90.0
(3.543)
117.8
(4.638)
125.2
(4.929)
120.9
(4.76)
98.3
(3.87)
57.7
(2.272)
847.3
(33.358)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 15.6 12.7 9.5 8.8 9.3 7.8 9.2 9.0 11.7 15.8 15.7 15.8 141.2
平均月間日照時間 43.9 78.3 139.0 180.9 204.7 188.7 174.2 181.8 189.3 136.8 56.8 30.2 1,611
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[6]

交通

 
焼尻港
焼尻港
  • 羽幌沿海フェリー
    • 羽幌 - 焼尻(高速船35分、フェリー1時間)
    • 焼尻 - 天売(高速船15分、フェリー25分)

観光地

 
焼尻島のイチイの木(2005年8月)
  • ラナルド・マクドナルド上陸記念碑[7]
1848年嘉永元年)、アメリカ合衆国の捕鯨船員ラナルド・マクドナルドが上陸した場所とされる。その後長崎に移されたマクドナルドは、日本初のネイティブ英語教師となった。なお、マクドナルドは当時、住人に出会えなかったので、焼尻島を無人島と思い、島を出て利尻島に移った。
  • 会津藩士の墓
1808年文化5年)、樺太出兵から帰還中の会津藩士が嵐に会い遭難したため、後に墓を立てて埋葬した。また別な資料によると、会津藩士が津軽藩士に代わり、利礼樺太警備のため出陣したが、その途中船中にて病没したため、焼尻島に寄港し埋葬したとの記述もある。
一基には「会津小原内匠忠貫」「文化五年戊辰七月十一日」、他の一基には「会津山内一学豊忠」「文化五年戊辰七月十六日」の刻がある。
  • 厳島神社
1844年天保15年)、松前藩の命によりニシン場を開設した栖原家(小右ヱ門)の番人だった山田多三郎が神社の鳥居を寄進、現在の弁天崎に神社を創鎮。その後1922年大正11年)に現在の場所に移転した。
  • 羽幌町焼尻郷土館(旧小納家住宅)[8][9][7]
1900年明治33年)竣工の木造2階建て建築(北海道指定有形文化財)。島の網元であった小納(こな)家の住宅で、2代目の小納宗吉によって建てられた。小納家は呉服店・雑貨店を兼営し、郵便局・電信局をも併設した。当時大変珍しくかつ高価であったトタン板で屋根を葺き、外壁は、内部は紫檀黒檀の柱を使うなど贅を尽くした建物である。現在は資料館となっており、家具や生活用品のほか、当時の電信機器などが展示されている。

祭事・イベント

ロケ地

公共機関

官公庁

学校

  • 焼尻中学校
  • 焼尻小学校

かつて存在した学校

  • 焼尻高校 - 1979年(昭和54年)閉校
  • 豊崎小学校(閉校)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 2019年(平成31年)3月現在。
  2. ^ 人口1,576人、そのほかに出稼ぎ者が約3,000人。
  3. ^ 両村合わせての人口は約5,000人、そのほかに出稼ぎ者最大6,000人程度、計12,000人を管理した。
  4. ^ 定住人口2,332人、出稼ぎ人口約3,000人。
  5. ^ 元は小納邸で、1909年(明治33年)建築。
  6. ^ “焼尻 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2019年12月5日閲覧。
  7. ^ a b “焼尻島 知る”. 羽幌町観光協会. 2012年2月6日閲覧。
  8. ^ “旧小納家住宅”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2012年2月6日閲覧。
  9. ^ “羽幌町焼尻郷土館(旧小納家住宅)”. 北海道文化資源データベース. 北海道. 2012年2月6日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 羽幌町観光協会
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