祭神
歴史
社名は、浪速津の川口に建てられた澪標に因る。 浪華八十島の1つで、延暦23年(804年)遣唐使の一行がこの島の景勝に感じて、航海の安泰を祈願するために島の一角に住吉四柱神を奉祀。島民が祭壇跡に祠を建立して帰路の印に澪標を建てたという。 中世には京へは大物の浦より神崎川を遡行して寂れたが、豊臣秀吉の大坂城築城では伝法口として湾内随一の要津となり、また、水質にも恵まれ、灘五郷に先駆して酒造の本場となり、江戸時代には樽廻船で販路は江戸・東北・北海道に及び、航海の守護神として崇敬された。
境内
周辺
交通アクセス
出典
- 井上正雄 『大阪府全志』 (1922)(全国書誌番号):(73012615)
- 大阪府神道青年会 『大阪府神社名鑑』 (1971)国立国会図書館サーチ