漢復(かんふく)は、新末後漢初の西暦23年、隗囂が自立して使用した私年号。李崇智は33年春の隗囂死去後、34年10月にその子隗純が後漢に降伏するまで使用されたとするが、柏楊の年表には23年から24年までしか記入されていない。
「復漢元年」と記された木簡が、現在の内蒙古自治区で発掘された居延漢簡にある[1]。清代の学者である万斯同が著した『(歴代紀元彙考)』では朔寧とされているが、李崇智は『後漢書』隗囂伝の「(建武六年、囂)遂遣使称臣於公孫述。明年以囂為朔寧王」という記述を根拠に、万斯同が付会したのだろうと考証している。柏楊はこの年(30年)から33年までを「朔寧王隗囂元年」から「4年」まで、34年を「朔寧王隗純元年」とする在位紀年を立てている。
西暦との対照表
他元号との対照表
出典
- ^ 大庭脩『木簡』、70頁。
参考文献
- 李崇智 『中国歴代年号考』(中華書局 2004年12月 (ISBN 7101025129))
- 柏楊 『中国歴史年表』(海口: 海南出版社 2006年11月) (ISBN 7544318656)
- 大庭脩・編『木簡 古代からのメッセージ』、大修館書館、1998年。