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溝口 宗博(みぞぐち むねひろ、1910年 - 1983年)は、日本の写真家。
資料がなく、経歴の詳細は不明。
青年報道写真研究会のメンバー(創立メンバーではない)。
青年報道写真研究会の活動としては、例えば、1939年4月30日から10月31日まで開催されたニューヨーク万国博覧会(前期)の国際館カヴァードスペース日本部に展示された写真壁画4つのうちの1つ「躍進日本」には、同会の土門拳、若松不二夫、山川益男、杉山吉良とともに溝口宗博の写真作品も使用された。また、1940年5月11日から10月27日まで開催されたニューヨーク万国博覧会(後期)の国際館カヴァードスペース日本部に展示された写真壁画4つのうちの1つ「日本産業」(産業日本)にも、同会の土門拳、田村茂、伊藤幸男とともに溝口宗博の写真作品も使用された。
日本工房にも参加している。(出典:柴岡信一郎、『報道写真と対外宣伝~15年戦争期の写真界』(日本経済評論社)93ページ)
溝口宗博についてのまとまった網羅的な文献は、2011年現在存在しない。
溝口禎次郎(1872年-1945年:死亡時は帝室博物館美術部長)の次男
東京美術学校日本画科卒業
死亡発見の経緯:隣家(パン販売店)が当日朝に来店しなかったため親族に連絡。親族が地元警察に確認を依頼。警察が自宅内で発見。司法解剖で病死を確認。
参考文献
日本における展覧会
2011年現在、日本において、溝口宗博に関する網羅的な展覧会は開催されたことがない。
外部リンク
- “日本発”モノづくりのシステムを確立溝口宗博の名前が登場する