源 雅重(みなもと の まさしげ)は、平安時代後期の貴族・歌人。(三条源氏)、非参議・源行宗の子。官位は正五位下・(紀伊守)。
経歴
三条天皇の玄孫で、父・行宗は公卿になったが、姉妹が白河天皇と対立する異母弟・輔仁親王の妃であったこともあり、官位は振わず、長承3年(1134年)に従五位上に叙された後、因幡権守・紀伊守を務め、また斎院長官((斎院司)の長官)として姪にあたる斎院・怡子内親王の補佐をした。
仁平2年1月8日(1152年2月15日)に斎院長官の労によって正五位下に叙され[1]、保元2年(1157年)に斎院長官を息子・基能に譲る事が認められ、その後、時期は不明ながら中務権大輔に任じられて在任中に死去した[2]。勅撰和歌集においては『千載和歌集』に1首採用されているのみであるが、二条天皇の歌合には何度も召されており歌人としても能力があったとみられている。
系譜
脚注
出典
- 中村文『後白河院時代歌人伝の研究』笠間書院、2005年、149 - 156頁。(ISBN 4-305-70296-7)。
- 赤羽淑「源雅重」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) (ISBN 978-4-04-031700-7))