源 雅忠(みなもと の まさただ)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。村上源氏中院流久我家、太政大臣・久我通光の六男(または七男)。官位は正二位・大納言。久我姓・中院姓で表記される場合もある。日記文学『とはずがたり』では、作者兼主人公の父として登場する。
経歴
系譜
『とはずがたり』
鎌倉時代の日記文学『とはずがたり』の作者にして主人公自身である後深草院二条(あかこ)は、自分は源雅忠の娘であると主張している。ただし、『とはずがたり』以外にそれを示す証拠はない。『とはずがたり』によれば、後深草院二条の母である近子(大納言典侍)は四条隆親の娘で、幼少の後深草天皇に「新枕」を授ける役であったが、何人かの公卿に「ぬしづかれて」最終的に雅忠の妻となったという[1]。なお、妻大納言典侍は二条を生んだ翌年(1259年)に亡くなっている。