» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

源是茂

源 是茂(みなもと のこれしげ、仁和2年(886年) - 天慶4年6月10日941年7月11日))は、平安時代前期の貴族嵯峨源氏大納言源昇の子。光孝天皇の養子(第十三皇子)。官位従三位権中納言

 
源是茂
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 仁和2年(886年)
死没 天慶4年6月10日(941年7月11日
官位 従三位権中納言
主君 醍醐天皇朱雀天皇
氏族 嵯峨源氏融流光孝源氏
父母 父:源昇、母:藤原門宗
養父:光孝天皇
兄弟 是茂、()、、()、(衆望)、藤原時平室、宇多天皇更衣・(貞子)、醍醐天皇更衣
(師世)、(師之)
(テンプレートを表示)

経歴

大納言源昇の子であったが、光孝天皇の養子になり第十三皇子となる。

醍醐朝延喜7年(907年)二世王並の蔭位により従四位下に直叙される。延喜10年(910年)(美濃守)を経て、延喜12年(912年侍従に任ぜられる。侍従を務める傍らで、(信濃権守)・(越前権守)・(讃岐権守)などの地方官や右京大夫を兼帯し、延喜22年(922年)に正四位下に叙せられている。

延長5年(927年左兵衛督に遷ると、醍醐朝末にかけて(伊勢権守)・(紀伊権守)を兼ねた。

朱雀朝承平4年(935年参議に任ぜられ公卿に列すと、議政官の傍らで左兵衛督・勘解由長官左大弁を兼帯する。天慶2年(939年)大弁の功労により従三位権中納言に叙任された。

天慶4年(941年)6月10日(薨去)。享年56。最終官位は中納言従三位。

官歴

公卿補任』による。

系譜

  • 父:源昇
  • 母:藤原門宗の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:(源師世)
    • 男子:源師之

二字名

嵯峨源氏は一字名が有名だが、源是茂と弟の(源衆望)は、二字名の嵯峨源氏である。その由来は、是茂の実父は源融の子、源昇であるが、光孝天皇の養子となったためである。衆望も光孝天皇の子、源是恒の養子となったために嵯峨源氏特有の一字名ではない。

子孫

嵯峨源氏も代が重なると都での栄達の途はなく、是茂の孫の(源貞清)の孫の源満末は鳥羽院領神埼荘の荘官として肥前国(神埼)に下り、土着して武士となる。
源満末の孫(あるいは子)の源久直(蒲池久直)は筑後国の嵯峨源氏蒲池氏(前蒲池)の初代である。

脚注

  1. ^ 或いは左京大夫

参考文献

軍職
先代
藤原兼茂
左兵衛督
927 - 936
次代
藤原伊衡
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。