経歴
左兵衛少尉を経て、宇多朝にて六位蔵人を務め、寛平6年(894年)従五位下に叙爵。寛平9年(897年)醍醐天皇の即位に伴って従五位上に叙せられると共に、左近衛権少将兼五位蔵人に任ぜられて、天皇の身近に仕える。
昌泰2年(899年)(信濃守)として地方官に転じるが、翌昌泰3年(900年)(卒去)。
勅撰歌人として、『古今和歌集』に和歌作品1首が収められている[1]。それによると、筑紫に湯浴みに向かう途中に山城国と摂津国の境である山崎で遊女であり大江玉淵の義理の娘である(白女)や藤原兼茂と歌を贈答している。
官歴
注記のないものは『古今和歌集目録』による。
脚注
参考文献
- 山下道代「源実をめぐる離別歌」『古今集人物人事考』(風間書房)、2000年
- 市川久編『近衛府補任 第一』続群書類従完成会、1992年