経歴
承和15年(848年)本康親王と共に清涼殿で元服。嘉祥2年(849年)従四位上に直叙され、翌嘉祥3年(850年)讃岐守に任ぜられる。
仁寿4年(854年)右馬頭に任ぜられて京官に復す。しかし、斉衡3年(856年)(但馬守)に遷ると、斉衡4年(857年)(近江守)、貞観3年(861年)(伊予守)、貞観6年(864年)(播磨権守)、貞観10年(868年)(相模権守)と、文徳朝末から清和朝前半にかけて約15年の長きに亘って地方官を歴任し、貞観13年(871年)には正四位下に昇叙された。
貞観15年(873年)宮内卿に任ぜられて京官に復すと、貞観19年(877年)左兵衛督兼帯を経て、陽成朝の元慶6年(882年)参議に任ぜられ公卿に列す。議政官として宮内卿・左右兵衛督を兼帯し、光孝朝の仁和3年(887年)には従三位に叙されている。
官歴
注釈のないものは『六国史』による。
- 承和15年(848年) 4月14日:元服
- 嘉祥2年(849年) 正月20日:无位より従四位上に直叙
- 嘉祥3年(850年) 正月15日:(讃岐守)。5月17日:讃岐守
- 仁寿3年(853年) 7月1日:讃岐守
- 仁寿4年(854年) 8月28日:右馬頭
- 斉衡3年(856年) 正月12日:(但馬守)
- 斉衡4年(857年) 正月14日:(近江守)
- 貞観3年(861年) 正月13日:(伊勢守)
- 貞観6年(864年) 正月16日:(播磨権守)
- 貞観10年(868年) 正月16日:(相模権守)
- 貞観13年(871年) 正月7日:正四位下[1]
- 貞観15年(873年) 正月13日:宮内卿[1]
- 貞観19年(877年) 正月15日:兼讃岐守[1]。10月18日:兼右兵衛督
- 元慶6年(882年) 2月3日:参議、宮内卿右兵衛督等如元[1]
- 元慶7年(883年) 正月11日:兼(伊予権守)[1]
- 仁和3年(887年) 正月7日:従三位
- 仁和4年(888年) 9月9日:左兵衛督[1]
- 仁和5年(889年) 正月16日:(美濃権守)[1]。2月29日:美濃守、左兵衛督如元[1]
- 寛平2年(890年) 2月25日:(薨去)(参議従三位左衛門督)
系譜
『尊卑分脈』による。
- 父:仁明天皇
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:源通
- 男子:源備