渡辺 福三郎(渡邊 福三郎、わたなべ ふくさぶろう、1855年3月6日(安政2年1月18日)- 1934年(昭和9年)5月10日[1])は日本の実業家、政治家。(貴族院多額納税者議員)。
経歴
武蔵国江戸日本橋の豪商、明石屋・8代渡辺治右衛門の三男として生まれる[2]。父・治右衛門は安政6年6月2日(1859年7月1日)横浜開港に合わせて石炭、生糸、海産物を商う横浜渡辺家を創業し、その後、福三郎がその事業を引き継いだ[3]。日清戦争後に事業を転換し、船舶荷役、金融、不動産業を行う[1]。
1912年(明治45年)4月、横浜渡辺銀行を設立し頭取に就任[4]。また、渡辺合名会社代表社員、横浜鉄道常務取締役、東京瓦斯取締役、東洋モリスン取締役、横浜電気取締役、二十七銀行取締役、海産乾物貿易商組合頭取、水産伝習所参事員、神奈川県会議員、横浜市会議員、同参事会員、同市会議長、横浜商業会議所議員などを務めた[5][6][7]。
1904年(明治37年)に神奈川県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日に就任し[8]、1905年(明治38年)5月15日まで在任した[5][9]。
親族
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 日比野重郎編『横浜社会辞彙』横浜通信社、1917年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 矢島忠正『特殊鋼の父 渡邊三郎 : その生涯と日本特殊鋼』里文出版、2005年。ISBN (4-89806-221-0)。