沿革
1913年(民国2年)1月18日に岱北道として設置。観察使は歴城県に設置され、下部に章丘、鄒平、淄川、長山、桓台、斉河、斉東、済陽、長清、泰安、新泰、萊蕪、肥城、恵民、陽信、無棣、浜県、利津、楽陵、沾化、蒲台、商河、青城、博興、高苑、博山の27県を管轄した。1914年(民国3年)5月23日に観察使は道尹と改められた。[1]。1925年(民国14年)に行政管轄範囲が大幅に縮小し、管轄県は歴城、章丘、鄒平、淄川、長山、桓台、斉河、斉東、済陽、長清の10県とされた。1928年(民国17年)5月に廃止されている。
行政区画
廃止直前の下部行政区画は下記の通り。(50音順)
脚注
- ^ 『政府公報』第745号 1914年6月3日