概要
明和元年(1764年)に創立されるが、木村蒹葭堂の主催する蒹葭堂会がその前身となっていた。当時の大坂では、懐徳堂、泊園書院、(梅花社)と並ぶ有数の学問所として位置づけられる。そのメンバーは、儒者、医師、武士、商人など身分に関係なく多彩な顔ぶれが集った。 はじめ、長老となる(鳥山崧岳)、(佐々木魯庵)、(田中鳴門)、葛子琴、(平沢旭山)、河野恕斎、細合斗南、(岡白洲)、(岡田寧處)、(大畠九齢)らが発起人となって片山北海を盟主とし、その後、まもなく頼春水、(篠崎三島)、木村蒹葭堂、(菅野錢塘)、(福石室)、(小山養快)、(隠岐茱軒)、(西村直)、尾藤二洲、古賀精里、(菱川岡山)、(井坂松石)、曽谷学川らが加わり、大坂でもっとも盛んな詩社となる。
混沌詩社には後に寛政の三博士となる碩学や、漢詩人として一家を為すものなど多数の著名人を輩出した。菅茶山や大典顕常、中井竹山なども参加した。
詩社の様子
混沌詩社は毎月16日に北海の居宅「孤松館」にて開催された。題と韻が与えられると、メンバーは頭の中で詩作し、完成作品のみを紙に書き下すという方法で詩作がなされた。これを身分や年齢に関係なく、皆で論評しあい、推敲し、最後に北海がその善し悪しを裁定した。酒や膳が出されさながら宴席のような雰囲気だったようである。
関連項目
- (詩窮社)
- (三白社)
- (幽蘭社)
- (江湖詩社)
参考文献
- 頼春水『在津紀事』(1810年)