生涯
元和5年(1619年)、高岡郡佐川土居付家老の深尾重昌の子として誕生した。
寛永11年(1634年)、3代将軍・徳川家光が上洛する際、幕府の証人となり、上京して二条城で家光に拝謁し、土佐藩2代藩主・山内忠義の世子・忠豊と共に江戸に下向する。慶安4年(1651年)、証人を交代して帰国する。寛文2年(1662年)3月、父の隠居により家督を相続する。
寛文3年(1663年)、奉行・野中兼山の失脚のきっかけとなった3箇条の訴書を、父・重昌、義兄弟・山内豊吉と連名で、側近孕石頼母、(生駒木工)を通じて藩主・山内忠豊に提出した。寛文9年(1669年)、藩主・豊昌の家督相続御礼言上の際に、4代将軍・徳川家綱に拝謁する。
系譜
出典
- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年
- 『佐川町史』佐川町史編纂委員会