略歴
宝永3年(1706年)、父・重方が咎めを受けて隠居することとなり家督相続する。同年12月、家老職に任じられる。
享保5年(1720年)、土佐藩7代藩主・山内豊常の家督相続の御礼言上の際に、江戸城で8代将軍・徳川吉宗に拝謁する。享保11年(1726年)、弟の稠済を養嫡子とし、藩主・豊常に御目見させる。享保17年(1732年)、病のため稠済が政務を代行する。
元文元年(1736年)、次男・(豊之)が藩主一門・山内豊成の婿養子となる。元文4年(1739年)、長男・(繁英)が稠済の養子となる。その後、稠済、繁英に先立たれたため、寛延2年(1749年)8月、(山内隼人茂信)(山内規重の子)の子の茂澄を養子に迎えた。
父・重方と同じく学問に熱心で、地元佐川の出身であった儒学者・(富永惟安)を招き儒臣として登用した。
系譜
家臣
- 上村八郎兵衛
- 岩神九兵衛
- 山田源左衛門
出典
- 『土佐諸家系図』東京大学史料編纂所
- 『土佐国羣書類従』東京大学史料編纂所