歴史
秦代に設置される。南北朝時代になると東魏により懐恩県(または淮恩県)と改称され(淮陰郡)の郡治とされた。その後北周により寿張県、583年(開皇3年)には淮陰県と改称されたが、大業初年に山陽県に編入された。
667年(乾封2年)、唐朝は再び淮陰県を設置、1273年(咸淳9年)には淮陰県より清河県が分置され、(清河軍)の軍治とされた。1283年(至元20年)、元朝により淮陰県は廃止され山陽県に編入されている。
1914年(民国3年)、中華民国政府は清河県を淮陰県と改称した。1958年には清江市と合併し淮陰市とされたが、1964年に再分離されている。2000年に市轄区に改編された。
行政区画
- 街道:長江路街道、王家営街道、新渡口街道、古清口街道
- 鎮:南陳集鎮、丁集鎮、徐溜鎮、漁溝鎮、三樹鎮、高家堰鎮、馬頭鎮、劉老荘鎮、淮高鎮
中国地名の変遷 | |
建置 | 秦代 |
使用状況 | 淮陰区 |
秦 | 淮陰県 |
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前漢 | 淮陰県 |
後漢 | 淮陰県 |
三国 | 淮陰県 |
西晋 | 淮陰県 |
東晋十六国 | 淮陰県 |
南北朝 | 懐恩県(東魏) 寿張県(北周) |
隋 | 淮陰県 廃止(大業初年) |
唐 | 淮陰県 |
五代 | 淮陰県 |
北宋/遼 | 淮陰県 |
南宋/金 | 淮陰県・清河県 |
元 | 清河県 |
明 | 清河県 |
清 | 清河県 |
中華民国 | 淮陰県 |
現代 | 淮陰県 淮陰市(1958年) 淮陰県(1964年) 淮陰区(2000年) |