益田 長行(ますだ ながゆき)は、戦国時代の武将、徳島藩家老。阿波一宮城主、海部城主。通称は虎之助。官位は豊後守。益田一正の子。正室は賀島長昌(徳島藩家老)の娘。
生涯
1580年(天正8年)、蜂須賀家の家臣・益田一正の長男として生まれる。尾張国出身。父の一正は阿波一宮城と海部城で城主をつとめ、長行も父の跡を継ぎ城主をつとめた。
海部城番の際は5500石を与えられ、関ヶ原の戦いや大坂の陣、1619年の広島城受け取りに従軍する。
参勤交代により江戸に出ることが多く、その際に江戸幕府大老の酒井忠世と親しくなり、幕府の人脈を使い海部郡の藩主としての独立を企てた。独立のために禁制を破って材木を伐採し江戸に運んで資金をつくっていたことが徳島藩の役人に摘発され、長行は領地を召し上げられ、その後13年間幽閉された。
これを恨んだ長行は1645年(正保2年)までに徳島藩主の蜂須賀忠英が幕府禁制を破り大船を建造し、さらに切支丹への宗門改めを怠っていると訴えた。
1646年(正保3年)、幕府は評定所にて長行と徳島藩の家老である(長谷川貞恒)を対決させた。結果、長行の訴えが虚偽であったとして長行の身柄は忠英に預けられた[1]。
系譜
脚注
- ^ 山川浩實「蜂須賀家の御家騒動」『徳島県立博物館ニュース』62号、2006年3月、2-3頁。