この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2019年2月) |
浅野 慶熾(あさの よしてる)は、江戸時代後期の大名。安芸国広島藩の第10代藩主。官位は従四位上・侍従、上総介、(安芸守)。浅野家25代当主。
略歴
第9代藩主・浅野斉粛の長男として誕生。幼名は定吉、定之丞、善次郎。初名は長裕。
嘉永4年(1851年)3月25日、元服し、第12代将軍・徳川家慶より偏諱を授かり慶熾に改名する。また、従四位上・侍従・上総介に任官する。安政5年(1858年)4月12日、父の隠居により跡を継ぐ。通称を安芸守に改める。幼少期から聡明で知られており、その力量は時の名君と呼ばれた島津斉彬や山内豊信、松平慶永らからも一目置かれるほどであったが、家督を継いでから半年足らずの同年9月10日に江戸で死去した。跡は養嗣子の長訓が継いだ。