» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

浄福寺 (奈良市)

浄福寺(じょうふくじ)は、奈良県奈良市(興善院町)にある浄土宗仏教寺院山号光明山院号興善院坊号賢故坊

浄福寺
所在地 奈良県奈良市興善院町14
位置 北緯34度41分49.16秒 東経135度50分7.03秒 / 北緯34.6969889度 東経135.8352861度 / 34.6969889; 135.8352861 (浄福寺)座標: 北緯34度41分49.16秒 東経135度50分7.03秒 / 北緯34.6969889度 東経135.8352861度 / 34.6969889; 135.8352861 (浄福寺)
山号 光明山
院号 興善院(塔頭の名)
宗旨 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 (())奈良時代
開基 光明皇后
中興年 寛文6年(1666年
中興 (賢故坊)((賢故上人)、(源故))
正式名 光明山興善院浄福寺賢故坊
法人番号 3150005000218
(テンプレートを表示)

歴史

寺伝によれば、光明皇后が病や貧困に苦しむ人々を救済していた際に、阿閦如来が顕現されたのでこれを喜び、本堂を建立されたという[1]。 史実は定かではないが、隣接地に北山十八間戸があるこの地にふさわしい伝承と言える[1]

法相宗興福寺の支配下にあったという[2]。 今の寺容が整ったのは、天文10年(1541年)8月の火災の後、寛文6年(1666年)に浄土宗として堂宇を再建して以降である[1]。 これを主導したのが(賢故坊)[脚注 1]であったため、坊号を賢故坊と呼ぶ[1]

本堂

棟札により造立時期が判明しており、浄福寺聖誉賢故比丘、寛文6年6月15日と記されている[1]。 その後衰微し破損されるがままとなっていたが、安政4年(1857年)に再興されている[1]

文化財

本尊

本尊阿弥陀如来が本堂内陣中央に安置される[1]鎌倉室町時代まで遡るともされる[2]古いものだが、光背台座江戸時代の再興[1]

仏像

仏具

周辺

夕日地蔵

当寺の東に、道路を挟んで立つ[1]永正6年(1509年[1]興福寺の僧により[3]造立。 高さ2m程度[2][3]。 地蔵左右に『奉造立供養逆修[脚注 2] 永正六年己巳四月 興福寺住侶権律師浄胤敬白 六十四歳』と刻まれている[2]。 歌人会津八一がこの地蔵について「ならざかの いしのほとけの おとがひに こさめながるる はるはきにけり」と詠っており、木造の歌碑が隣に設置されている[3]

その他

  • 菩提院蔵俊の墓 – 五輪塔
  • 了法印権大僧都興善院と刻まれた背光五輪碑 – 天正17年(1589年)、安山岩

興善院は菩提院大御堂の東(現菊水楼)にあった塔頭で、蔵俊僧正によって開かれた[2]。蔵俊は聡明で弁舌に長け、八舌僧正とも呼ばれた高僧[2]治承3年(1179年)9月27年入寂[2]

ギャラリー

脚注

  1. ^ 現地表示、奈良市史での記述。奈良町風土記では源故と記す。
  2. ^ 逆修とは生前に石仏をつくり供養を勤めること。室町時代にさかん。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 奈良市史編集審議会 編『奈良市史 社寺編』吉川弘文館、1985年、49-50頁。ISBN (4-642-01549-3)。 
  2. ^ a b c d e f g 山田熊夫 編『奈良町風土記』豊住書店、1976年、132頁。ISBN (4-88617-005-6)。 
  3. ^ a b c 小倉つき子 編『ドラマチック 奈良』(京阪奈情報教育出版)、2010年、136頁。ISBN (978-4-87806-601-6)。 

関連項目

ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。