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法観寺

法観寺(ほうかんじ)は、京都市東山区八坂上町にある臨済宗建仁寺派寺院山号は霊応山。本尊五智如来清水寺の近隣に位置する。街中にそびえ立つ五重塔は通称「八坂の塔」と呼ばれ、周辺のランドマークとなっている。境内は狭く、塔以外に目だった建築物がないことから、「八坂の塔」は寺自体を指す通称ともなっている。かつてはその近傍に、八坂東院とも称された雲居寺(大仏)が存在していた。

法観寺


八坂の塔

所在地 京都府京都市東山区八坂通下河原東入る八坂上町388
位置 北緯34度59分54.78秒 東経135度46分45.27秒 / 北緯34.9985500度 東経135.7792417度 / 34.9985500; 135.7792417座標: 北緯34度59分54.78秒 東経135度46分45.27秒 / 北緯34.9985500度 東経135.7792417度 / 34.9985500; 135.7792417
山号 霊応山
宗派 臨済宗建仁寺派
本尊 五智如来
創建年 伝・崇峻天皇5年(592年
開基 伝・聖徳太子
正式名 霊応山 法観禅寺
別称 八坂の塔
文化財 五重塔、紙本着色八坂塔絵図(重要文化財
太子堂、薬師堂(市指定有形文化財
法人番号 4130005001258
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歴史

 
古写真にみえる五重塔(1868年~1895年の間に撮影)

伝承によれば五重塔は崇峻天皇5年(592年)に聖徳太子如意輪観音の夢告により建てたとされ、その際仏舎利を三粒収めて法観寺と号したという。

聖徳太子開基説は『山城州東山法観禅寺仏舎利塔記』(暦応元年(1338年))にみられ、近世の地誌類はこれを踏襲している。創建時の伽藍は四天王寺式伽藍配置または法隆寺式伽藍配置だったと考えられている。聖徳太子創建の伝承は信憑性に疑いがあるものの、平安京遷都以前から存在した古い寺院であることは確かとされており、朝鮮半島系の渡来氏族・(八坂氏)の氏寺として創建されたという見方が有力である。境内から出土する瓦の様式から、創建は7世紀にさかのぼるとみられる。現存する五重塔は15世紀の再建であるが、創建時の塔跡に建てられており、古代寺院に特有の地下式の心礎(心柱の礎石)が残っている。寺号は当初は八坂寺と称され、八坂寺の文献上の初見は『続日本後紀承和4年(837年)条である[1]

延喜式』には、大膳職から盂蘭盆供養料を給される七寺の一として八坂寺の名がある[2]。八坂寺の近傍には八坂東院という寺院もあり、これは後に「雲居寺」とも称された。雲居寺(八坂東院)には黄金八丈の大仏も造立された。

五重塔は平安時代末期の治承3年(1179年)に清水寺と祇園社(八坂神社)との争いに巻き込まれて焼失したが、建久2年(1191年)に源頼朝の援助により再建された。その後正応4年(1291年)に落雷で焼失し、延慶2年(1309年)に後宇多天皇の援助で再建。現在の塔は、永享8年(1436年)の東山地域での大火による焼失後、同12年(1440年)に将軍足利義教の援助により再建されたものである。近傍の雲居寺(八坂東院)も当該火災で焼失したが、こちらも足利義教の援助で再建された。

その間、仁治元年(1240年)に建仁寺8世の済翁証救が入寺して中興し、臨済宗建仁寺派に属する禅寺となる。さらに暦応元年(1338年)より、夢窓疎石の勧めによって足利尊氏が全国に安国寺利生塔を建てたが、都の利生塔としてはこの塔を充て仏舎利を奉納した[3]

応仁の乱雲居寺 (八坂東院)は焼失したが、八坂の塔は焼失を免れた。戦国時代には、地方から上洛した大名が八坂の塔に定紋入りの旗を掲げることによって、誰が新しい支配者・天下人になったかを世人に知らせたという。また、大島光義豊臣秀次の命でこの塔の窓に矢を十本射込んで見せたという。

境内

文化財

 
八坂上町の町並みと五重塔

重要文化財

  • 五重塔
  • 紙本著色八坂塔絵図(法観寺参詣曼荼羅)

京都市指定有形文化財

  • 薬師堂
  • 太子堂

拝観

 
五重塔内部

八坂の塔は内部に入ることができるうえに、塔の2層目まで一般人が普段から拝観で登ることができる日本唯一の重要文化財指定の五重塔である。ただし、公開は不定期(寺院関係者の都合の良い日のみ)であり、10:00 - 15:00という公開時間も、天候や寺院関係者の都合等により早く閉鎖されることもある。シーズン中の週末に公開日は集中するが、シーズン中の週末でも悪天候時は休むことが多く、好天の週末に休むこともあり「必ず内部を拝観できる日」は存在しない。稀に平日に開いていることもある。そのため、確実に拝観したい場合は事前に電話等で確認が必要。

塔の内部に入ると仏像壁画礎石・(心柱)を見ることができる。急な階段を2層目まで登ると、窓ごしに町並みを展望できる。しかし、横を通る八坂通りから境内が見渡せることもあり、有料拝観者はそれほど多くない。また、塔内の階段が急で危険なため、中学生未満の拝観はできない。悪天候時に拝観を休むのも、濡れた靴では階段でスリップする可能性が高まることも一因である。古い写真を見ると、最上層に金網が張っており、拝観者が最上層まで登れたことがわかる。

周辺

脚注

  1. ^ 「史跡法観寺境内」、p.3
  2. ^ 『国史大辞典』「法観寺」の項
  3. ^ 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、pp.216 - 217

参考文献

  • 「史跡法観寺境内」『京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告』2009 – 11(京都市埋蔵文化財研究所、2010)p.3(参照: 京都市埋蔵文化財研究所サイト)
  • 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979
  • 『国史大辞典』、吉川弘文館(「法観寺」の項)

関連項目

外部リンク

  • 京都観光NAVI 法観寺
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