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油川 信次(あぶらかわ のぶつぐ)は、戦国時代の武将。天正3年(1575年)5月21日に長篠の戦いにて死去。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正3年(1575年)5月21日 |
別名 | 油川四郎左衛門 |
主君 | 武田信玄→武田勝頼 |
氏族 | (甲斐武田氏)油川氏 |
父母 | 父:(彦三郎信吉) |
子 | 武田信貞(油川信貞) |
甲斐守護・武田信昌の次男・油川信恵の子孫で、信恵が永正5年(1508年)に戦死した後に生き残った油川源左衛門(信守と言われていた武将)の孫にあたる。武田信玄の側室となった油川夫人は叔母。子に武田信貞(油川信貞)。
その他
死亡年月日に異説在り。