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池田 長幸(いけだ ながよし)は、江戸時代前期の大名。因幡鳥取藩2代藩主、備中松山藩初代藩主。長吉系池田家2代。官位は従五位下・(備中守)。
略歴
鳥取藩初代藩主・池田長吉(池田輝政の弟)の長男として誕生した。母は伊木忠次の娘。幼名は次兵衛。
幼少の頃より家臣、水野善右衛門の薫陶を受けた。慶長19年(1614年)、父の死去により跡を継ぐ。元和3年(1617年)2月、5,000石加増の6万5,000石の上で、鳥取から備中松山へ移封された。藩政では新田開発、元和5年(1619年)の福島正則改易時の三原城在番を務めた。
寛永9年(1632年)4月7日、46歳で死去し、跡を長男の長常が継いだ。法号は承国院殿蔭凉崇樹大居士。墓所は岡山県高梁市上谷町の威徳寺と東京都港区高輪の東禅寺。