池田 慶行(いけだ よしゆき)は、江戸時代後期の大名。因幡鳥取藩10代藩主。官位は従四位下侍従(因幡守)、左近衛少将。鳥取池田家12代。
略歴
鳥取池田家の分家である鹿奴藩(東館)主・池田仲律の長男として誕生。幼名は亀丸。初名は茂高(しげたか)、茂行(しげゆき)。
天保12年(1841年)、9代藩主池田斉訓が死去した際、養嗣子として10歳で宗家の家督を継ぐ。天保13年(1842年)、12代将軍徳川家慶の前で元服式を行い、偏諱を受け慶行に改名。従四位下、侍従を叙任し、因幡守を名乗る。天保14年(1843年)、佐賀藩10代藩主鍋島斉正の娘・貢姫と婚約する。しかし、のちに婚姻前に慶行が没したため流縁となった。弘化4年(1847年)、左近衛少将に昇任する。
嘉永元年(1848年)、17歳の時に鳥取城で死去した。法名は正国院殿純徳玄明大居士。嗣子が無かったため、前田斉泰の四男を養子・慶栄として跡を継がせた。
人物
体格が良く、武具を好み、華美を嫌う。学問にも力を入れ、漢詩をよくした。また絵が巧みで、藩絵師沖一峨を師とし、武者絵を得意とした[1]。
系譜
脚注
参考文献
- 財団法人史跡鳥取藩主池田家墓所保存会/作成『史跡 鳥取藩主池田家墓所』(2006年3月31日刊行)