江戸 肥前掾(えど ひぜんじょう、生没年不詳)は、江戸時代前期の浄瑠璃太夫である。幼名は伊之助後に七郎兵衛。(肥前節)を創始した事で知られている。
経歴・人物
杉山丹後掾の長男として生まれる。父から浄瑠璃を学び、1661年(寛文元年)に「天下一江戸肥前掾」を受領される。同時に藤原清政の通称をもらう。
父の作風から発展した作品をからくり人形を取り入れ、軟派的な語り口で演じた浄瑠璃を生み出した。この作風は後に「肥前節」と呼ばれ、一躍有名となった。後に江戸でこの作風を取り入れた作品を上映した劇場を開園し、庶民たちを楽しませた。しかし、1682年(天和2年)に(薩摩座)のものとなり、閉館した。弟に(江戸左近太夫)がいた。
主な弟子
- (初代江戸半太夫) - 河東節が生み出すきっかけとなった(半太夫節)を創始した太夫。
出典
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『江戸肥前掾』- コトバンク
- 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『江戸肥前掾』- コトバンク
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン)『江戸肥前掾(1世)』- コトバンク