由緒
江岳寺境内になぎの大木がある。この木は三熊野神社の境内にもあり、熊野三社の神が船で雨垂の浜にお着きになった(三熊野神社沿革参照)印として植えられた木と伝えられている。 この寺が大宝年間の創建と伝えられるのは、おそらく熊野三社神を奉祀する礼拝所が設けられたからと考えられる。 江岳寺が開山と仰ぐ南溟和尚は、(貞永寺)の中輿開山であり、浜野の(三邑院)、報地の(高松庵)の開山でもある。南溟和尚は正安3年(1301年)に死亡しているので、寺の創立はこの以前になる。 安政の大地震により堂宇潰滅し、文久2年(1862年)貞山元理和尚(16代)の時、本堂を改築し、明治初年屋根を瓦にふき替える。明治40年18代竜演和尚が入寺した。大正10年貞永寺より分法し、独立寺となる。
境内堂宇
参考文献
- 大須賀町誌編纂委員会 『大須賀町誌』 静岡県小笠郡大須賀町
脚注
- ^ 「大須賀町誌」を参照