魏晋南北朝時代
隋代
584年(開皇4年)、隋により和州伊川郡に伊州が設置された。605年(大業元年)、伊州は汝州と改称された。広州が廃止されると、その管轄県が移管されている。607年(大業3年)、郡制施行に伴い、汝州は襄城郡と改称され、下部に8県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
唐代
621年(武徳4年)、唐により襄城郡は汝州と改められた。742年(天宝元年)、汝州は臨汝郡と改称された。758年(乾元元年)、臨汝郡は汝州の称にもどされた。汝州は(河南道)に属し、梁・臨汝・郟城・魯山・襄城・葉・竜興の7県を管轄した[2]。
宋代
元代
明代以降
1476年(成化12年)、明により汝州は直隷州に昇格した。汝州直隷州は河南省に属し、魯山・郟・宝豊・伊陽の4県を管轄した[6]。