永祚の風(えいそのかぜ)は、平安時代の989年9月(永祚元年8月)に近畿地方を襲った台風(大風)である[1]。平安期に記録の残る台風としては最大規模とされており、大風のたとえとして後世に語り継がれ、天災の比喩にもなった[1]。
概要
永祚元年(989年)8月13日の夜、台風が近畿地方を襲い、京坂に大風が吹いた[1]。「扶桑略記(永祚元年八月一三日)」には以下のように記されている(原文は漢文である)[2]。
夜、天下に大風。皇居の門・高楼・寝殿・回廊及び諸々の役所、建物、塀、庶民の住宅、神社仏閣まで皆倒れて一軒も立つもの無く、木は抜け山は禿ぐ。又洪水高潮有り、畿内の海岸・河岸・人・畑・家畜・田この為皆没し、死亡損害、天下の大災、古今にならぶる無し、云々 — 「扶桑略記」(永祚元年八月一三日)
永祚の風は、藤原氏の栄華を襲った、古代日本史中最大の大風(暴風雨)といわれている[2]。「愚管抄」にも、「更に及ばぬ天災なり」と記述されている[2]。比叡山では、大鐘が吹き飛ばされ、七つの僧坊を破壊しながら谷底に落ちたという[3]。当時、災害の記録を残す古文書に関しては、地震に関する記述は多く残るものの、台風などの風水害を記録したものは少ない。しかし、永祚の風は被害が大きかったこともあり、記述が残されている。