氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都杉並区高円寺南にある神社。通称は高円寺氷川神社(こうえんじひかわじんじゃ)。境内社に気象神社がある(後述参照)。
由緒
社伝に、源頼朝が奥州征伐(文治5年(1189年))の際に当地に立ち寄り、安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させた[1]。またあるいは、随伴していた村田兵部某[注釈 1]が当地で帰農し、大宮高鼻より勧請して社殿を建てたともいわれる[2]。また口伝によれば、天文年間(1531年~1544年)に、宿鳳山高円寺と同時期に開かれ、高円寺が当社別当寺となったとされる[1][2]。しかし、資料がのちに火災により焼失し詳らかでない[3]。
高円寺村(小名原)郷の鎮守となり、『新編武蔵国風土記稿』には、「除地4段3畝10歩、外に供免1段5畝、小名原にあり、是も鎮守なり、本社3尺四方南向、上屋2間23間、木の鳥居をたつ、村内高円寺の持」とある[2][4]。
明治時代になると(村社)になったが、第二次世界大戦による戦災で社殿が焼失。現在の社殿は昭和46年(1971年)に再建されたものである。
また、1948年(昭和23年)には全国でも唯一といわれている気象神社が当神社に遷座された。例大祭は元々9月18日に行われていたが、台風などによる悪天候が多いことから1958年(昭和32年)、8月27日・28日に変更された。
境内社
気象神社
祭神は八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)。元は、馬橋4丁目(現在の高円寺北4丁目)にあった大日本帝国陸軍の陸軍気象部の構内に、1944年(昭和19年)4月10日に造営されたものである。この神社前で勤務前に気象観測員が気象予報の的中を祈願したという。戦後の神道指令で撤去されるはずであったが、連合軍宗教調査局の調査漏れで残存した。そこで当局に申請して払い下げを受け、1948年(昭和23年)、当時は9月18日だった例大祭の際に現在の氷川神社に遷座した。老朽化のため、遷宮55年記念として2003年(平成15年)6月に再建。例大祭は6月1日の気象記念日に行われる[5]。
一般の知名度はさほど高くなかったが、気象予報士の制度が始まると、日本で唯一の気象(天気)の神様として気象予報士を目指す受験生などに存在が知られ[6]、合格祈願や快晴祈願などで参拝されている[7]。
アクセス
備考
- 拝観は無料。夜間は閉門しており、境内に入ることができない。
脚注
注釈
- ^ 後に高円寺での旧家。
出典
参考文献
- 「高円寺村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ123多磨郡ノ35、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):763995/27。
関連項目
外部リンク
- 高円寺氷川神社 公式サイト