地理
神奈川県秦野市の北部に位置する丹沢山系の塔ノ岳に源を発し南流。秦野盆地の中央部で南東に向きを変え、秦野市河原町と秦野市室町の境界で室川に合流する。
名称の由来
盆地扇端部で流量の大部分が地下に伏流するため、以前はその名のとおり盆地内を流れる「水無」川だった。戦後、流域に工場や住宅が増えるにつれ、そこから流入する水(排水や浄化処理された水)が流れるようになり、流量は安定した。それでも時期と場所によってはほとんど水が流れていない事もしばしばある。秦野市内にある戸川という地名はこの川の別称「砥川」(砥石のような石が河原に多かったため)の転じたものである。
川から水がなくなった由来に言及した御伽噺の一つとして、弘法大師が登場する伝説がある。弘法大師は「心の優しい人がこの辺りにはいないものか」と思い、わざと貧しい身なりをしてこの川の流域の住民に水を求めた。水を求められた住民はその人が弘法大師とは知らず、貧しい身なりをしていたので水を与えなかった。「人の身なりで人を判断するとは何たる事だ」と怒った弘法大師は、この住民たちの生活用水である川の水を涸らしてしまった。その川に水が無くなってしまった事から、「水無川」と言う名称が付いたというのである。
秦野市千村出身の文人(谷鼎)の歌集「伏流」の名はこの川に由来する。
環境
市街地を流れる部分は1980年代中頃まで排水による汚濁がひどく、河川敷も地域の人々が小規模な菜園を営む程度の利用しかされていなかった。
その後、下水道普及率の上昇や工場からの高度処理水の流入により水質が改善し、神奈川県による砂防事業との一環として上流の平和橋から下流の常盤橋までの河川敷が「みずなし川緑地」として整備され市民に親しまれている。「水無川緑地」で、平成元年度国土交通省手づくり郷土賞(生活の中にいきる水辺)受賞。平成17年度には同賞大賞受賞。
支流
源流部の沢には登山や沢登りで多くの人々が訪れる。水無川水系にある沢はガレが多く相当程度のクライミング力を要する箇所もある[1]。秦野市では主な沢の滝にフォールナンバーを付けており看板を設置している[1]。
橋梁
上流から