橘 貞根(たちばな の さだね)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。(越中守)・橘宗嗣の子。官位は従四位上・弾正大弼。
経歴
左京出身。幼い頃から嵯峨上皇の身近に仕え、非常な恩寵を蒙った。承和5年(838年)抜擢されて従五位下に叙爵される。承和10年(843年)中務少輔次いで侍従に任ぜられ、翌承和11年(844年)従五位上に昇叙される。嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位後、(安芸守)に任ぜられるが遙任であった。
天安2年(858年)清和天皇の即位に伴い正五位下に昇叙されると、清和朝では貞観6年(864年)従四位下、貞観11年(869年)従四位上と累進した。またこの間右京大夫・弾正大弼と京官を務めた。
人物
鬢髯(もみあげから顎にかけての髭)が美しく。身長は五尺(約150cm)しかなかったが、腰回りが非常に大きかった。才学はなかったが、嵯峨上皇の寵遇を受けたことと、仁明天皇の外戚であったことにより、ある程度の昇進を遂げたという[1]。
官歴
『六国史』による。