概要
江戸時代初期、詮了院日義によって開山された。言い伝えによれば、開山前まで当寺が所在する道々橋村には寺が無かった。自力で建立しようにも資力がなかった。ただ道々橋村出身の女性が江戸城大奥の腰元になっており、彼女の協力が得られたことで寺が建立できたという[2]。
当初は碑文谷法華寺の末寺であったが、当時の碑文谷法華寺は不受不施派だったため、幕府の不受不施派禁教令により、天台宗寺院「円融寺」になってしまったため、身延山久遠寺に本寺替となった[2]。
交通アクセス
- 西馬込駅より徒歩15分。
脚注
参考文献
- 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年
- 「道々橋村 樹林寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ45荏原郡ノ7、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):763981/69。