榛谷氏(はんがやし)は、(桓武平氏)良文流で坂東八平氏の一つ秩父氏の一族である。 小山田有重の四男である重朝が、支配を任された榛谷御厨に因んで、榛谷氏を称した。
1205年、同族の畠山氏と北条氏との抗争に巻き込まれ、三浦義村に滅ぼされる。
「(畠山重忠#滅亡)」を参照
系図
秩父重弘 ┣━━━━━┓ 畠山重能 小山田有重 ┃ ┣━━━━┳━━━━━━━┳━━━┳━━━━┓ 畠山重忠 稲毛重成 榛谷重朝 (森行重) (田奈有朝) (小山田重親) (三郎) (四郎) (五郎) (七郎) (八郎) ┣━━━━┓ (榛谷重季) (榛谷秀重) (太郎) (二郎)
榛谷御厨(はんがやみくりや)
保安3年(1122年)に成立した伊勢神宮(内宮)の荘園(御厨)。 小山田氏一族が支配地一帯の所領安堵のため寄進したもので、寄進後も在地領主として支配を維持していた。 榛谷氏滅亡後は鎌倉幕府に没収され、室町時代は西園寺公重の支配となり、北条早雲の坂東制覇により北条一族に分与されて消滅した。
現在の神奈川県横浜市の保土ケ谷区・旭区・都筑区一帯で、現在も二俣川に字名として「半ヶ谷」の地名が残る。
また「はんがや」が訛化して「ほどがや」になったという説もあるが、「保土ヶ谷区史」などにおいては否定的な見解が示されている。
関連項目
- 横浜市の歴史
- 横浜市
- 保土ケ谷区
- (榛谷)
- 旭区 (横浜市)
- 神明社 (横浜市保土ケ谷区)