生涯
釐王23年(紀元前273年)、釐王が死去すると、後を嗣いで韓王となった。
桓恵王9年(紀元前264年)、秦に陘城など9城を攻め落とされた(陘城の戦い)。
桓恵王10年(紀元前263年)、秦に太行を攻撃された。
桓恵王11年(紀元前262年)、秦に野王を攻め落とされる。この攻撃により飛び地となっていた上党郡が趙に降伏した。
桓恵王17年(紀元前256年)、秦の攻撃により陽城・負黍を失陥した。
桓恵王24年(紀元前249年)、秦に城皋・滎陽を攻め落とされた。秦は三川郡を置いた。
桓恵王26年(紀元前247年)、秦の攻撃により上党の地を全て失陥した。秦は太原郡を置いた。
桓恵王29年(紀元前244年)、秦に13城を攻め落とされた。
桓恵王32年(紀元前241年)、韓は魏・趙・楚・燕と合従して秦を攻めたが、敗れた(函谷関の戦い)。
桓恵王34年(紀元前239年)、死去した。在位34年。
参考文献
- 『史記』韓世家