概要
第二次世界大戦中、中島飛行機のエンジン工場が大谷石採掘場跡に疎開したので工業用水確保のために計画された[1]。
1944年(昭和19年)9月に測量、1945年(昭和20年)3月から工事開始し、昼夜工事で完成を急いだが同年8月に終戦を迎えたため工事は中止された。しかし、地元住民から灌漑用貯水池の要望があり、栃木県の事業として工事再開し、1946年(昭和21年)2月に完成した[1]。
春はヤシオツツジが花咲き、夏場はキャンプ場が設けられ、秋には紅葉に包まれ、ダム湖での釣りやボートなどで行楽の場であった[1]。
キャンプ場
7月中旬から8月31日まで営業。バンガロー3棟、テント6張り、30人用山小屋1棟という構成であったほか、貸しボート10隻も備えてあった[2]。キャンプ場は、その後廃止された。
アクセス
- 路線バス
- 1980年代は、栗谷沢ダムまで関東バスの路線[2]があったが、現在は近くの道の駅うつのみや ろまんちっく村止まりとなっている。