経歴・人物 栗原氏は甲斐守護・武田信成の子・武続が栗原郷(山梨市)を本貫としたことから始まり、信遠は下栗原に居館(現:大翁寺)を構えたという[1]。
父・(信明)は祖父・(信通)の次男であったが、信通の嫡男・(信続)が長禄2年(1458年)に討死した際に信続の子・(信尊)が幼少であったことから、信明が家督を継いだ。以後、信明の系統が栗原氏嫡流となった[2]。
明応元年(1492年)より、武田信昌・油川信恵と武田信縄の武田氏惣領を巡る争いに際し、信昌方として勢力の中核を担ったという。同年、信昌方の国中の軍勢を率いて信縄方であった河内地方の穴山信懸を攻撃している。
文亀元年(1501年)2月27日の合戦で敗北し、子息の(彦二郎)と共に自害する[1]。
脚注 - ^ a b 平山優『武田信虎 覆される「悪逆無道」説』戒光祥出版、2019年、62-65頁。
- ^ 丸島和洋「栗原信遠」『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年。
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