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松平 斉厚(まつだいら なりあつ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。上野国館林藩3代藩主、のち石見国浜田藩初代藩主。寺社奉行。官位は従四位上・権少将。越智松平家5代。
生涯
天明3年(1783年)、館林藩主・松平武寛の長男として誕生。まもなく父が死去したため2歳で家督を継ぐ。始め武厚(たけあつ)と名乗り、寺社奉行を務める。
その後、11代将軍・徳川家斉の二十男・松平徳之佐(のちの斉良)を婿養子(および養嗣子)に迎え幕府との結びつきを強め、家斉から偏諱を受けて斉厚と改名する。天保7年(1836年)には館林から浜田に移った。斉良は夭折したため、讃岐国高松藩から迎えた養子・武揚が家督を継いだ。