略歴
承応元年(1652年)[1]、松平忠倶の長男として誕生[1]。
寛文元年(1661年)8月26日、10歳の時に飯山藩嫡子として4代将軍・徳川家綱に御目見した[2][3]。寛文5年(1665年)に従五位下筑後守に叙任する[2]。しかし元禄7年(1694年)12月28日、病を理由として廃嫡され、飯山で隠棲した[2]。
代わって忠継の長男・忠敏が飯山藩の世嗣となったが、元禄8年(1895年)に早世[2]。忠継の二男・忠喬が元禄9年(1896年)に飯山藩を継ぐこととなった[2]。忠喬は宝永3年(1706年)に掛川藩、宝永8年(1711年)に尼崎藩に転封された。
系譜
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第五
- 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) (NDLJP):1082717/24
- 『新訂寛政重修諸家譜 第一』(続群書類従刊行会、1964年)