松平 康乂(まつだいら やすはる)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。美作津山藩6代藩主。官位は従四位下・(越後守)。
生涯
5代藩主・松平康哉の次男として誕生。寛政6年(1794年)、父の死去により跡を継ぐ。
同年、浮世絵師の北尾政美(鍬形紹真、鍬形蕙斎)を藩のお抱えとして登用した。一介の町絵師であった北尾の正式採用は異例であったが、北尾は幕府老中を務めた松平定信と親交が深く、また定信は康哉とも親交が深かった、という縁も指摘される。またこれは、ただ芸術家を保護したのではなく、北尾が得意とした「(それまでの平面的な地図・絵図ではなく)俯瞰構図と遠近法を駆使して景色を描く」という技術を藩政および軍事に応用しようとしたものである、とする説がある。
系譜
外部リンク
- 鍬形蕙斎 津山景観図屏風 - 津山郷土博物館No3 いー津山どっとこむ