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松平 定吉(まつだいら さだよし)は、安土桃山時代から江戸時代最初期の武将。掛川藩主松平定勝の嫡男。定友とも名乗る。官位は従五位下・遠江守。徳川家康は伯父にあたる。
来歴
松平定勝の長男として誕生した。母は奥平信昌の養女(奥平貞友の次女)・たつ。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで伯父・家康に従う。翌慶長6年(1601年)、従五位下・遠江守に叙任。慶長8年(1603年)、家康の面前で鷺を射落としたが、家康に「無駄な殺生」だと叱責され、それを恥じて掛川にて自害した。享年19。自照院殿と贈られ、掛川真如寺に葬られた。代わって、弟の定行が嫡子となった。
顕彰
文政11年(1828年)、稚国玉命(わかくにだまのみこと)と神号を贈られ、社号を豊坂神社といい、松山城がある勝山山麓の東雲神社内に勧請され祀られた。
派生作品
定吉を扱った文芸作品が存在し、田宮虎彦の『鷺』などが有名である。
脚注
- ^ “遠江塚”. 掛川市. 2013年11月22日閲覧。