松平 吉透(まつだいら よしとお)は、江戸時代中期の大名。出雲国(松江新田藩)主、のち松江藩4代藩主。官位は従四位下・(出羽守)、侍従。雲州松平家4代。
生涯
寛文8年(1668年)7月16日、2代藩主・松平綱隆の五男として誕生した。元服の際には、兄で3代藩主となった綱近から偏諱を与えられて近憲(ちかのり)と名乗る。また、元禄14年(1701年)10月25日には綱近から1万石を分与されて松江新田藩主となり、同年12月6日には従五位下・民部少輔に叙任された。綱近には世継ぎとなる子が夭折しておらず、自らも眼病を患ったため、元禄17年(1704年)2月23日に近憲を世継ぎとした。
宝永元年(1704年)5月29日、兄の隠居に伴い家督を相続した。同年6月5日に出羽守に遷任する。同年11月13日、5代将軍・徳川綱吉から偏諱を授かり、近憲から吉秀(よしひで)と改名(する時期・理由不明ながら後に「之」を加えた吉透(よしとお)に改名)。さらに従四位下に昇叙し、侍従を兼任した。しかし家督相続から1年後の翌宝永2年(1705年)9月6日、江戸で死去した。享年38。跡を次男の宣維が継いだ。