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松平 乗真(まつだいら のりざね)は、江戸時代中期の大名。三河国(大給藩)3代藩主。のち三河奥殿藩初代藩主。真次流大給松平家4代。
生涯
貞享3年(1686年)5月23日(貞享元年(1684年)とも)、800石の旗本である(本多正種)(本多正貫の孫)の長男として誕生。母が初代藩主・松平乗次の養女であり、2代藩主・乗成の実子・(乗賢)が早世したことから、元禄16年(1703年)に乗成が死去するとその養子となって家督を継いだ。
宝永6年(1709年)3月7日、従五位下・縫殿頭に叙位・任官する。正徳元年(1711年)4月28日、藩庁を碧海郡奥殿村(現在の愛知県岡崎市奥殿町)に移したため、奥殿藩主となる。藩政では(説田猪右衛門)を登用して藩政改革を行なった。また、(日光祭祀奉行)や江戸城御門番などを歴任した。
系譜
父母
正室、継室
側室
- 清光院
子女
- 松平盈乗(長男)生母は清光院(側室)
養子
- 平野長英室 ー (本多正種)の娘