東歌(あずまうた)は、「万葉集」巻14・「古今集」巻20に収められた短歌230余首の総称である[1]。いわゆる東国方言でよまれた民謡風の和歌[2]。音読みで「トウカ」と読まれたという説もある。東国各地の歌を集めたものであるが、これらの歌がどのように集められて万葉集に収められたのか、その過程については定かでない。おそらく中央から派遣された国司たちによって集められたという説がある[3]。
概要
大別すると、収録元の名を取って「(万葉集東歌)」「(古今集東歌)」に分かれる。性愛表現の直截性や、特殊な語彙・語法が登場する独自性の強い特徴があり、賀茂真淵は、この特異性を「東ぶり」と称するが(万葉考)、この「東ぶり」とは何かについては、今日に至るまで謎となったままである。近代の範囲で諸説があるとすると、以下の4つの説が有力である[4]。
- 東国の「民謡」とする説
- 「民謡」ではないとする説
- 東国「民謡」の変質形態だという説
- 東国在地の豪族らが創作したものとする説
万葉集東歌
全230首(異伝歌のうち一首全体を記すものも含めれば238首)[5]。遠江国、信濃国、駿河国、伊豆国、相模国、武蔵国、上総国、下総国、常陸国、上野国、下野国、陸奥国の12の国による90首と、国の不明な140首から成る。ほとんどは東国で人々に共有されていた歌謡とされているため、基本作者は不明である[5]。今でこそ全て整った形式であるが、元は整っていない形のものもあったと思われている。万葉集東歌の主な特徴として以下の6つが挙げられる[5]。
- 労働や自然など生活に密着した素材を使用している
- 一首の前半から後半への意外な形で転換を見せる
- その結果生まれる笑いの世界。
- 露骨で抑制が少ない感情の現れ。
- 恋の苦しさを歌ってさえも健康で明るい
- 方言や俗語など、独自の特殊な語彙・語法を用いている。
収録された東歌の例
- 夏麻引く海上潟の沖つ渚に船はとどめむさ夜ふけにけり
- 筑波嶺に雪かも降らる否をかも愛しき児ろが衣乾さるかも
- 信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く声きけば時過ぎにけり
- 信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむなくつ履け我が夫
- 富士の嶺のいや遠長き山道をも妹がりとへば気に吟ばず来ぬ
- さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと
- 駿河の海磯辺に生ふる浜つづら汝を頼み母にたがひぬ
- 足柄の彼面此面にさす罠のか鳴る間静み子ろ吾紐解く
- あしがりの麻萬の子菅の菅枕あぜか纏かさむ子ろせ手枕
- 多摩川に曝す手作りさらさらに何そこの子のここだ愛しき
- 武藏野の小岫が雉立ち別れ去にし宵より夫ろに逢はなふよ
- 入間道の大家が原のいはゐづら引かばぬるぬる我にな絶えそね
- 埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね
- 馬来田の嶺ろの笹葉の露霜の濡れて我来なば汝は恋ふばそも
- にほ鳥の葛飾早稲を饗すともその愛しきを外に立てめやも
- 上毛野安蘇の真麻屯かき抱き寝れど飽かぬをあどか吾がせむ
- 伊香保ろの傍の榛原ねもころに奥をな兼ねそまさかし良かば
- 上毛野佐野の舟橋取り離し親は放くれど我は離るがへ
- 伊香保嶺に雷な鳴りそね我が上には故は無けども子らによりてそ
- 都武賀野に鈴が音聞こゆ上志太の殿の仲子し鳥猟すらしも
- 庭にたつ麻布小衾今宵だに夫寄しこせね麻布小衾
- 汝兄の子や鳥の岡道し中手折れ吾を音し泣くよ息づくまてに
- 稲舂けば皹る吾が手を今宵もか殿の若子が取りて嘆かむ
- 誰そこの屋の戸押そぶる新嘗に我が夫を遣りて斎ふこの戸を
- 高麗錦紐解き放けて寝るが上にあどせろとかもあやに愛しき
- 奥山の真木の板戸をとどとして我が開かむに入り来て寝さね
- 夕占にも今宵と告らろ我が夫なはあぜそも今宵依ろ来まさぬ
- 麻苧らを麻笥に多に績まずとも明日着せざめやいざせ小床に
- 柳こそ伐れば生えすれ世の人の恋に死なむを如何にせよとそ
- 汝が母に嘖られ吾は行く青雲の出で来我妹子相見て行かむ
- 悩ましけ人妻かもよ榜ぐ舟の忘れはせなないや思ひ増すに
古今集東歌
伊勢国、甲斐国、相模国、常陸国、陸奥国の5の国による13首から成る。一説では宮中の大歌所が管理していたとされる[5]。収録された東歌の例として「陸奥はいづくはあれど塩釜の浦こぐ舟の綱手悲しも」などがある[5]。
脚注
外部リンク
- 『(東歌)』 - コトバンク