東京品川病院(とうきょうしながわびょういん)は、東京都品川区東大井に所在する医療法人社団東京巨樹の会が運営する病院。緩和ケア病棟を有する。
東京品川病院 | |
---|---|
情報 | |
正式名称 | 医療法人社団東京巨樹の会 東京品川病院 |
英語名称 | TOKYO-SHINAGAWA HOSPITAL |
前身 | ゼームス坂病院 ↓ 東芝大井病院 ↓ 東芝中央病院 ↓ 東芝病院 |
標榜診療科 | 内科、消化器内科、呼吸器内科、血液内科、神経内科、産婦人科、泌尿器科、眼科、皮膚科、麻酔科、歯科口腔外科、循環器内科、腎臓内科、代謝・内分泌内科、小児科、神経精神科、外科、整形外科、リハビリテーション科、耳鼻咽喉科、放射線科、病理診断科、脳神経外科、緩和ケア科、救急科、脳神経内科、形成外科、呼吸器外科、心臓血管外科、臨床検査科、腫瘍内科、乳腺外科、糖尿病内科、リウマチ科、アレルギー科 |
許可病床数 | 329床 一般病床:239床 療養病床:90床 |
機能評価 | 一般200床以上500床未満:Ver5.0 |
開設者 | 医療法人社団 東京巨樹の会 |
管理者 | 蒲池 健一(院長) |
開設年月日 | 1945年1月15日(東芝大井病院として)[1] |
所在地 | 〒140-0011 |
位置 | 北緯35度36分6秒 東経139度44分5秒 / 北緯35.60167度 東経139.73472度 |
二次医療圏 | 品川区南部 |
PJ 医療機関 |
歴史
1923年(大正12年)、南品川の(ゼームス坂)そばに精神病院「ゼームス坂病院」として開院[1]。高村光太郎の妻・智恵子が入院して生涯を終え、その闘病生活が『智恵子抄』に綴られたことで知られる[1]。ゼームス坂病院は、当時としては先進的な全個室で鍵や鉄格子はなく、患者の自由を確保した精神病院であった[2]。
1945年(昭和20年)1月15日[3]、終戦直前に東京芝浦電気(現:株式会社東芝)により改修され[1]、企業立病院「東芝大井病院」として再開院[1]。(戦後)の混乱期に同社従業員と地域住民の医療を担った[1]。1964年(昭和39年)年に東大井へ移転し「東芝中央病院」と改称した[1]。
その後は長らく東芝の企業立病院として運営されてきたが、2017年11月30日付で東芝が同病院事業を医療法人社団緑野会へ譲渡する契約書を締結したことを発表[4]。予定どおり2018年4月1日付で東芝から医療法人社団緑野会への病院事業譲渡が完了し[5]、東芝の企業立病院ではなくなったことから、同日付で現名称の「東京品川病院」へ改称された[5]。
沿革
- 1923年(大正12年) - 南品川の(ゼームス坂)付近に精神病院「ゼームス坂病院」として開院[1]。
- 1945年(昭和20年)1月15日[3] - 東京芝浦電気により改修され「東芝大井病院」として再開院[1]。
- 1964年(昭和39年)10月1日 - 東大井へ移転し「東芝中央病院」へ改称[1]。
- 1993年(平成5年)1月 - 「東芝病院」へ改称[要出典]。
- 2017年(平成29年)11月30日 - 東芝が同病院事業を医療法人社団緑野会へ譲渡する契約書を締結したことを発表[4]。
- 2018年(平成30年)4月1日 - 東芝から医療法人社団緑野会に事業譲渡され「東京品川病院」へ改称[5]。
- 2019年(令和元年)10月 - 産科診療を開始。
診療科
医療機関の指定等
- 保険医療機関
- 労災保険指定医療機関
- 身体障害者福祉法指定医の配置されている医療機関
- 結核指定医療機関
- 戦傷病者特別援護法指定医療機関
- 公害医療機関
- 臨床研修指定病院(協力型)
- DPC対象病院
- 難病医療費助成指定医療機関
- 指定小児慢性特定疾病医療機関
- 生活保護法指定医療機関
など
交通アクセス
脚注
関連項目
外部リンク
- 東京品川病院
- 東京都 品川・荏原 7:大正期・昭和初期の品川区域 - 三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス」(「ゼームス坂病院」についての解説がある)