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杉 隆泰(すぎ たかやす)は、戦国時代の武将。大内氏の家臣。父は(杉貞泰)(法名は宗珊)、子に(杉鎮頼)。周防国鞍掛山城主。
生涯
鞍掛杉氏は応永6年(1399年)に足利将軍家と大内氏から、周防国玖珂郡を拝領した一族であった。杉隆泰は、平時は山口に出仕して大内氏の領国統治に従事し、所領の玖珂郡は影響下の国人衆に統治を委任していた。なお、諱の「隆」の字は主君の大内義隆から偏諱を賜ったものである。
天文24年(1555年、弘治元年)の厳島の戦いの後、毛利元就が周防国東部へ進出し、玖珂郡への侵攻を開始すると、隆泰はその矢面に立たされた。最初は毛利氏に臣従したものの、近隣の蓮華山城主椙杜隆康との関係もあり、毛利氏の攻撃を受けた。隆泰は居城の鞍掛山城に籠っていた際に奇襲に遭い、防戦に努めるも、ついに鞍掛山城は落城。隆泰は父の宗珊と共に討死した(鞍掛合戦)。享年31。法名は鐵真院殿享安元樹大居士。墓所は鞍掛山城の麓にある祥雲寺。
嫡子の専千代丸は、豊後国の戦国大名・大友義鎮(宗麟、大内義長の実兄)の許へ逃亡。一字を拝領して(杉鎮頼)と名乗り、天正6年(1578年)の耳川の戦いで戦死するまで、大友氏家臣として仕えた。
系譜
- 父:(杉貞泰)
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:(杉鎮頼)
関連項目
- (杉氏)
- 防長経略